あの「カツ丼超大盛り」がなくなった!?

あの大力食道の「カツ丼超大盛り」がなくなった!?

インスタバエはもうたくさん!

「インスタ映え」という言葉を聞いて久しくなりますね。インスタグラムというSNS上に、私生活で見た訴求力のある物や出来事の写真を掲載しては、興味や賛同を示した人から「いいね!」を集める、いわば自分のインスタグラムをいかに注目させるかを意識する…ということです(ざっくり説明しましたが…)。時にはインスタ映えする写真を撮るためだけに、旅行に出かける人もいるほどです。そういった人たちが、今あちこちで訴求力のある写真を撮りたいがために迷惑行為やマナー違反を繰り返す問題が起きています。そういう人たちを世間では揶揄して「インスタバエ(蠅)」と呼び、”害虫指定”しているというのです。インスタ映えする物や風景の周りには、迷惑行為をするハエがたかる…という意味で。

その被害に遭ったと言えるのが、あの甲子園球場のそばにある「大力食堂」さんではないでしょうか。このお店は1966年創業の老舗で、「カツ丼大」という、超大盛りのカツ丼メニューで有名でした。もともと「お金のない、お腹を空かせた甲子園球児のために」と発案されたメニューで、その2.8合というご飯の量と、お椀からあふれるとんかつと卵とじの量が大人気でした。値段も800円と格安で、「お客さんはわざわざここまで足を運んでくれとる。儲けは二の次。良かった言うて帰ってもらえたら」と、店主の藤坂悦夫さんのお人柄が表れる看板メニューでした。

しかし近頃は、インスタ映えのためだけに注文するお客が増え続け、カツ丼を最後まで食べずに残して帰る人が後を絶たなくなりました。

「スマホいうんかな。あれで写真を撮るだけ撮ってな。残った分はほかすしかないけど、お米もお金ももったいないやろ…。それ見とったらおっちゃん、何かもう、情けのうなってな…」

と語る藤坂さん。そしてとうとう「カツ丼の(大)はやめました」との悲しい知らせを店先に張り出すことになったのでした。

「いかに自分のインスタグラムで『いいね!』を集めるか」、それだけを考え、店主の気持ちも考えない、感謝の気持ちも持たない人が、こうした被害をもたらしていくのです。残念で仕方がありません。

「恩を知る人」になろう

さて、「知恩報恩は仏法の柱」という言葉があります。「恩を知り、恩に報いる」ことは、仏教徒である前に人として当然のことであると言えます。

恩という字は因、「原因の因」の下に「心」と書きます。すなわち「もとを忘れない心、原因・根元を大切にする心」という意味です。今の自分を支えているのは、この世のありとあらゆる恩恵あればこそです。目の前の一椀の食事、一杯の水、一枚の衣服、住まいをはじめ、たくさんのもののお陰で自分が存在します。ところが、そんなご恩をいつも忘れてしまいがちなのが、我々人間という生き物なのです。

上所重助(かみところしげすけ)さんという方が書いた詩に、「おかげさまで」という名の詩があります。

おかげさまで

夏が来ると「冬がいい」と言う
冬が来ると「夏がいい」と言う
太ると「痩せたい」と言い
痩せると「太りたい」と言う
忙しいと「暇になりたい」と言い
暇になると「忙しい方がいい」と言う
自分に都合のいい人は「善い人だ」と言い
自分に都合が悪くなると「悪い人だ」と言う

借りた傘も 雨が上がれば邪魔になる
金を持てば 古びた女房が邪魔になる
所帯を持てば 親さえも邪魔になる

衣食住は昔に比べりゃ天国だが
上を見て不平不満の明け暮れ
隣を見て愚痴ばかり

どうして自分を見つめないのか
静かに考えてみるがよい
一体自分とは何なのか

親のおかげ
先生のおかげ
世間様のおかげの固まりが自分ではないか
つまらぬ自我妄執を捨てて
得手勝手を慎んだら
世の中はきっと明るくなるだろう

「俺が」、「俺が」を捨てて
「おかげさまで」、「おかげさまで」と暮らしたい。

自分という人間がいかに傲慢で、自分中心で、感謝の思いが欠ける生き物であるかということを、良く分からせていただける詩であります。

「おかげさまで」、そういう思いで日々を生きることができたとき、自分は両親に、友人に、そして世間さまに生かしてもらっているのだと、感謝の思いがいつも心に存在し、「恩を知る人」になれるに違いありません。恩を知る人が一人でも多く増えれば、暖かみあふれる平和な世の中が、きっと目の前に現れるはずです。

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