御罰と御利益を頂いて、ご信心の素晴らしさを再認識

豊島貞子さん。八十を越えてもなお、ご信心に励まれる
豊島貞子さん。八十を越えてもなお、ご信心に励まれる

倉敷・妙照寺 豊島貞子さん

平成三十年に主人が帰寂し、本年の二月に一周忌を迎えたあと、私は自分の身に御罰と御利益を頂き、あらためて仏様や主人がいつも私を見守ってくださっていることを実感いたしました。その時のお話を、ご信心を始めたきっかけを振り返りながら、させていただきたいと思います。

貞子さんのお母様と娘さんが一緒に写った、唯一残されている貴重なお写真
貞子さんのお母様と娘さんが一緒に写った、唯一残されている貴重なお写真

本門佛立宗のご信心を始めたのは、私が四歳の時でした。母が妹を身ごもった際に、命の危険から救っていただいたのがきっかけでした。母が妹を妊娠してから腹膜炎にかかり、母子共に危ない状況になったとき、父の友人が本門佛立宗のご信者で、ご信心をすすめてくださったのです。大きな御利益をいただいた母はそのご恩を一生忘れることはなく、89歳でこの世を去る直前まで、お寺の御宝前係として毎朝、大阪の堺・安国寺でご奉公に励んでいました。母は朝参りに向かうバスの中でも、他の乗客にご信心をお勧めするくらいの信心ぶりで、そんな母に私はご信心を教わりました。

若かりし頃の、貞子さんのご主人
若かりし頃の、貞子さんのご主人

結婚を機に倉敷へ移り住んでからも、母は時折大阪から私を心配して訪れてきてくれ、その際には必ず主人の家族にご信心の話をしてくれました。その努力のお陰で、主人の家族も徐々にご信心をしてくれるようになったのでした。主人は恥ずかしがり屋な性格だったこともあり、お寺で大きなお役をいただいてご奉公させていただくことはありませんでしたが、その代わり近所のご信者の面倒はずっと見てくれていました。そんな主人は平成三十年の三月一日に帰寂。本年の二月末に無事に一周忌を迎えたわけですが、なんとその直後から、私の身体のあちこちに異変が起こり始めたのでした。


最初は「ふと気が抜けたのかなあ」と安易に考えていたのですが、目まいがひどくなり入院、その後も急性腸炎にかかり、そして極めつけは妙照寺の春の御会式当日の四月二十一日には体調が急変してお参りすることすらできず、翌日二十二日には救急車で運ばれてしまったのです。診断の結果、風邪から肺炎を患っていたことが判明。五月二十日に退院するまで、約一ヶ月の入院生活を強いられたのでした。

肺炎で入院した直後、血液検査をするために左足すね部分から看護士さんが採血を試みましたが、何度も失敗。それが原因なのか、退院する頃には、その左足すね部分の痛みがかなりひどくなっていました。退院して一週間後に、同じ病院でその左足を診てもらったのですが、どうもハッキリとした原因がわからないのです。結果的に、別の病院の整形外科を紹介される形で自宅療養することになりました。

帰宅後もその左足の痛みは激しさを増していき、家の中ですら歩くことができず、どこへ行くにも這って移動しなければならないほどでした。主人も逝ってしまったし、「もう私もいっそうのこと死んでしまいたい…」と思うほど辛い状況でした。激痛が走る度に御宝前に座り、御供水を左足に塗りながら主人の写真を見つめ「なぜ私をこんな目に遭わせるの…」「何か私が悪いことした?」「早く足を治してよ…」と、毎日話しかけていました。

夏の暑さが増していくように、私の左足の痛みがもっともひどくなっていたそんな折、今年の4月から妙照寺でご奉公されることになった池本良説師が自宅へお助行に参ってくださいました。一本のお線香分(約一時間)のお看経を終えたあと、次々と起こる身体の不調のお話をさせていただくと、良説師は私にこう仰いました。

「真面目にご信心に励まれてきた豊島さんに、これほど連続して災いが起こるということは、何かご自身で思い当たることはありませんか?例えば信心上、大きな過ちを犯してしまっているとか…

そう聞かれて、そのお助行の席では思いつかなかったのですが、良説師が帰られた後に、ふと思い出したのです、

「あぁそうだ!主人が生前に想い続けていた”ある意志”を、私は継いでいなかったわ!」


主人は亡くなる少し前にこう言っていました、

今、ワシはへそくりをコツコツ貯めとるんじゃ

それを聞いた時に私は冗談で

そんなお金があるのなら、私をどこか旅行にでも連れて行ってくださいな

と言うと、主人は真剣な眼差しで

それはそれじゃ!そのへそくりはお寺に御有志するためのお金なんじゃ。まだ貯め始めたばかりじゃが、これからどんどん貯めて、たくさんお寺に御有志させてもらうんじゃ

と話していたことを思い出しました。

主人はその御有志金をなおしてあった場所を言わずに亡くなってしまったのですが、亡くなった直後に主人の洋服ダンスを整理していると、たまたま古いジャケットの内ポケットからその御有志金が見つかったのでした。主人の葬儀費用がすぐに必要でしたから、私は何も考えずに「とりあえずここから必要なお金を支払っておこう」と、葬儀費用をそのご有志金から抜き取ったのでした。実は今考えてみれば、これが大きな過ちだったのです。


私は主人の一周忌の際に、葬儀費用を差し引いて残っていた御有志金を全てお寺へ納めさせていただきましたが、葬儀費用として抜き取った分は「別に構わないだろう」と安易に考え、お寺には納めなかったのです。そしてその一周忌の直後から、私の身体に異変が起こり始めたのでした。

お助行を頂いた日の二日後には、以前紹介された倉敷市にある大きな総合病院の整形外科へ、左足の症状を診てもらいにいくことが決まっていました。その病院にはこれまでも何度もお世話になっていたベテランの先生がいらっしゃったのですが、その先生はすでに別の病院へ移っており、私を診てくれたのはとても若い先生でした。言葉も態度も横柄で、その日は「もう年齢からくる衰えが原因でしょうね。腰ももともと悪いようですし」などと適当な理由で追いかえされ、神経痛のための薬を処方されて終わっただけでした。
私も娘もその先生の態度にとても憤慨し、もう二度とこの病院には来るものかと、最後の支払いのためにロビーで待っていたところ、なんと娘が大学生のときの同級性に四十数年ぶりに再開したのでした。しかもその方は、その病院の婦長さんだったのです。

私は自分の足の症状を説明すると、その婦長さんは「正直この病院はよくない。あなたのためにベストな病院を紹介してあげます。ちょっと待ってて下さい」と言ってくださり、しばらくすると沢山の資料を手に持って帰ってきてくれました。そしてなんとその別の病院とは、私の家の近所にある神経専門の病院だったのです!

新しく紹介してもらった病院へ行くまでの一週間の間、先の病院で処方してもらった薬をのんでいましたが、どうも頭がボーッとし続け、食欲もなくなり、いつも眠たいのです。見かねた娘が、もうこのまま私は死んでしまうのではないか、と思ったほどでした。婦長さんに紹介してもらった病院に行くと、すぐに左足の痛みの原因がハッキリとわかりました。肺炎で入院した直後に採血をした際、何度も失敗したことによって注射針が神経と毛細血管をつぶしてしまっていたことが原因だったのです。特別な治療は必要無く、自然治癒で治るとのことで、痛み止めの薬だけを処方してくれました。訳も分からない診断をくだされ、しかも普通に生活できなくなるような副作用を生じる薬を処方した前の病院とは大違いでいでした。今では少し痛みは残るものの、杖なしでも自由に歩けるまでに戻り、本当に嬉しい限りです。


あの婦長さんとの奇跡的な出会いがなければ、きっと私はあのまま足の痛みを抱えながらあちこち病院を転々としていたと思います。それを考えるとあの出会いは本当にありがたかったです。主人が「お寺へ御有志する」と決めていたお金は、その時点ですでに仏様のものだったわけで、お金は手元にあっても、志は仏様の手に渡っていたのです。それを、軽い気持ちで使ってしまったのが、この度の御罰の原因でした。しかし反対に、自分の過ちに気がつき、改良を誓った瞬間に御利益をいただくことができました。この度の御罰を通じて、仏様も、亡くなった主人も、みんないつも私たちを見守ってくれているのだということを、改めて認識することができました。本当にありがたいことです。

来年には主人の三回忌がやってきます。それまでにはもっと元気な身体になって、無事に勤まるよう、精進したいと思います。そしてその際には、主人の想いを継いで、私が使ってしまっていたあの御有志の残りを、ちゃんとお寺に納めさせていただくつもりです。

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