肉眼ではなく「慧眼」で世を生きる

見た目や肩書きに振りまわされるのが人間という生き物

お経文に次のような逸話があります。

その昔、クシナガラという国に、ショウカバッタという若者がいました。彼の家は代々の金持ちでしたが、彼の代になってから随分と落ちぶれてしまいました。富を失うと共に誰からも相手にされなくなった若者は、しかたなく故郷を去って他国で働くことにしました。彼は懸命に努力した結果、年老いてから巨万の富を得、故郷に錦を飾ることになりました。

噂を聞いた親族や知人は、村の入口でショウカバッタを出迎えようと、待ち構えていました。彼はそのことを事前に知っていたので、わざとみすぼらしい身なりで、行列の先頭に立って帰って来ました。親族たちはそんなことも知らず

「長者のショウカバッタさんは、どこにおいでですか」

と尋ねます。彼は

「はい、ショウカバッタさんは後ろの方におられます」

と答えました。しかしいくら待っても、それらしい人の姿が見当たりません。そこで後ろの人に

「ショウカバッタさんはどこにおられますか」

と聞くと、

「長者ですか。長者は行列の先頭におられます」

とのこと。親族たちは行列の先頭にかえり、彼に対して

「どうして、私たちがわざわざ出迎えに来たのに、後ろにいるなどと言ったのか」

と詰め寄りました。彼は冷然とした態度で

「あなた方の会いたいというショウカバッタは、後ろのラクダの背中の上にいます。私が貧しかったときには見向きもしなかったのに、今になって急に出迎えてくれるのは、私のためでなく私の得た財宝のためでしょう。それは、後から来るラクダの背中に積まれているからです

と、答えたというお話です。

どんなに立派な肩書や身なりも、その人物の本当の善し悪しとは直接関係がないはずですが、実際には、我々はそれらを人物を判断する目安にしているものです。外見や肩書にとらわれすぎると、相手の本質を見誤ることになってしまいます。

肉眼ではなく、御題目の「慧眼(えげん)」で世を渡れば安心

仏さまは、物を見る力のうちで、「肉眼」は最も能力の低いものであると仰せです。真の人間性を見るためには、肉眼以上の力が必要で、それを「天眼(てんげん)」と言います。これは外見を超えて、その中にある本質を見抜く力です。しかしその天眼も、この世の常識や知識が基準になっているため、本当の正しい物事の理解は得られません。それで第三の目として、あらゆるものを見通すことができる智慧の眼「慧眼(えげん)」というものを仏様は説かれます。

本門佛立宗のご信心をしていない人の中には「南無妙法蓮華経と唱えるだけで、仕事や家庭がうまくいくなら苦労はしない」という人がいます。しかしこれは、御題目口唱の中に「慧眼」の功徳が含まれていることを知らないからです。

例えば、特殊詐欺と呼ばれる、振り込め詐欺や架空請求詐欺の平成29年の被害件数は約18,000件、被害総額は約400億円に達します。「こんな詐欺、騙されるわけがない」と自負していても、人は引っかかってしまうのです。また、火事・盗難・病気をはじめとする災いは、いくら用心をしていても、自力だけで防ぐことはできません。そうした不慮の諸難を避け、世間を正しく見渡す眼を持たせていただけるのが御題目の功徳のお力です。

御題目は「甚深の奥蔵(じんじんのおうぞう)」といって、私たち凡夫の知識の領域をはるかに超越した偉大な力が備わっています。その不思議の功能は、口唱によって積んだ功徳から顕れてくるのですから、当宗では口酸っぱく「一遍でも多く御題目を唱え重ねることが肝心」と、教えられるのであります。

自分の肉眼だけを頼りに人生を生きるのは、世間一般の人々のやること。世の中を正しく見渡すことのできる、御題目という名の「慧眼」を頼りに生きるのが真仏教徒である佛立宗のご信者の人生。世間の人々が苦しむ諸難を、御題目の功徳のお陰で我々は知らず計らずのうちに逃れさせていただいているのですね〜。ありがたいことです。

【佛立開導長松日扇聖人の御教歌】

ほねかくす肉と皮にはまよひけり
あほもかしこもおなじがいこつ

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